愛されるのが怖い!はこう克服していく埼玉カウンセリング
愛されたいのに、実際愛されると、幸せよりも恐怖を感じて辛くなってしまうという困った状態に陥ったことはない?
私はもう異常なまでに陥ってたよ。
私のことを無下に扱う人は自分からさよならだ。
愛されたい。
大切にされたい。
そう思っているのに、いざ愛を連想させる言動をされると怖いと思ってしまう。
毎日送ってくれる丁寧なLINE。
好きだよ、早く会いたい、ずっと大切にさせてね。という言葉。
以前何気なく好きだと言ったお菓子を覚えてくれていて、プレゼントしてくれたり、
体調が悪い時に心配してくれたり、
こちらの話を楽しそうに聞いてくれる。
確かにそれは紛れもなく自分が求めていたはずで、それを与えられたら幸せになれると思っていたのに、
愛されれば愛されるほど、大切にされれば大切にされるほど、自分の心が恐怖と不安でしんどくなってくる。
無下に扱われればひどく怒り狂うのに、大切に扱われてもしんどくなる。
どちらをされても自分は幸せになれない。
愛されないのも怖いけど、愛されるのも怖い。
それって生き地獄以外の何ものでもないよね。
一体何故こんなことが起こるのか。
私の体験を元に、このようになってしまう原因と克服方法を綴っていこうと思う。
◆目次
- 愛されるのが怖いのはどうして?
- 自分の中にある「不必要な存在」が邪魔をする
- 自分の存在を自分が許すことが怖いを克服するための条件
1 愛されるのが怖いのはどうして?
普通は誰かに何かをしてもらうことは、嬉しいこと。
優しい言葉をかけてくれた。
自分のことを気にかけてくれた。
ご飯を作ってもらった。
お迎えに来てもらった。
何かプレゼントをもらった。
全部嬉しいこと。
でも、私を含めそれらが嬉しい感情を上回り「怖い!」になってしまう人が一定数いるのも確かだと思うの。
優しい言葉をかけてもらえた。
ありがとうよりも、申し訳ない....になり、
気にかけてもらえて嬉しいよりも、ごめんねになる。
ご飯を作ってもらったら、わあ♡やったー!ではなくて、こんな大変なことさせてしまって悪いね...になり、
迎えに来てもらったら、助かった!ではなくて、時間を使わせてごめん。になる。
何かプレゼントを貰ったら、「これが欲しかったの♡」ではなくて「こんなことさせてしまって本当にごめんなさい!!!!!」になる。
申し訳なくて怖い。
何故ここまでしてくれるのか分からなくて怖い!
こんなことしてもらって怒られないか怖い!!!
自分もそれ相応のお返しが出来なかったら怖い!!!!
だけど、これが異常だと理解しているから葛藤する。
せっかく頂いているのに申し訳ないばかりだと相手も「なんだかな。」って思うだろうし、
笑顔で「ありがとう」と言って、素直にいただく方が相手だって嬉しいし気持ちいいはず。
もちろんこちらも嬉しくない訳ではない。
普通に嬉しい。
だから笑顔でありがとうと言う。
でも嬉しいより、申し訳ないし怖い!が上回るから「ありがとう」が不自然になる。
そして自分が不自然な感謝を述べているのに自分自身が気付いているからこそ、もっと怖くなる。
相手を不快にさせていないかと。
こんな自分に嫌気がさしていないかと。
怖いは自分の中でどんどん大きくなってしまう。
一体何故なのか。
こんなにも怖いが大きくなってしまうのは。
それは、自分の中にある自分に対する「無価値観」「不必要な存在」がこびりついているからじゃないかと思う。
必要とされない存在。
何か頑張らなければここに居てはいけない存在。
だからずっと一生懸命誰かの期待に応えて生きてきた。
誰かの役に立つことでここに居ていいよね?みたいに思えた。
にも関わらず、いきなり自分は何もしていないのに何かを与えてもらえる存在になってしまった。
それは長年欲しかったものなのに、なんとまぁ皮肉なことなんだろうね。
ここに居てはいけない存在で、何か役に立てたら存在して良い。
自分のことをそんなふうに位置付けていれば、何もしていないのに愛してもらえることは違和感しかなく、怖いことになってしまうのは当然のことだと思う。
2 自分の中にある「不必要な存在」が邪魔をする
今の自分は、これまでどう生きてきたかの結果である。
だから今愛されるのが怖いのは、自分に最も近しい人(大体は親)に愛されて育って来なかったからに他ならない。
愛されるとは、おもちゃを買ってもらったとか、習い事をさせてもらったとか、有名な学校に行かせてもらったとかそういうことではなくて、
ありのままの自分にOKを出してもらえたかということ。
自分の楽しい、嬉しい、面白い、悲しい、怖い、嫌だよを受け止めてもらえたか。
親の都合の良い時だけ、受け入れてもらったり、優しくしてもらってはいなかっただろうか。
楽しい時に「楽しいね」ではなく「何くだらないことやってんの?」と言われ、
嬉しい時にその嬉しさを共感してもらえず「そんなことで浮かれるな」と言われ、
面白い時に「バカじゃないの?」の言葉と共に一瞥され、
悲しい時に「意味分からない」と突き放され、
怖い時に「大丈夫だよ」とハグしてもらえなかった人は、自分が存在している意味が分からなくなってしまう。
ここにいてはいけない存在であることを認識する。
でも相手の都合や心を満たせた時は、相手が笑ってくれたり、自分にOKを出してもらえたことがあるから、とにかく迎合するクセが付いている。
誰かと一緒にいるためには「何かをしなくてはならない」ルールが自分の心にこびりついている。
愛されることを切に願うのに愛されるのが怖いのは、過去に嫌という程「自分は不必要な存在」であることを、刷り込まされたからではないか。
愛されるのが怖いということは、自分の本音(愛されたい)とは裏腹に、
誰とも深い関係を築けないことを意味している。
本当は自分のこと不必要な存在だなんて思いたくないし、誰かに必要とされたいと思うもの。
でも、これまで誰かの必要な人になるためには、もしくは愛されるためには、その人に何かをしてあげる差し出す必要があったはず。
お金、労力、体...何を差し出すかは人によって違うと思うけれど。
でも差し出すことで、自分の存在意義を見出し、愛のようなものを与えてもらっていたはず。
なのに、差し出さないと言うことは、自分がここに存在できないことを意味することになる(自分の中だけで)
だから、怖い。
本当は愛というものは自分がどんな自分であれ与えられるものなのに、それを経験して来なかったからこそ、条件付きの愛を自ら選び、苦しい恋愛に足を踏み入れてしまう。
そして真心こもった愛を拒否してしまう生き地獄が待っている。
3 自分の存在を自分が許すことが怖いを克服するための条件
自分がここにいて良いと自分自身が実感出来なければ、心から理解できなければ、どんなに誰かに愛されようと「怖い」は無くならないし、本当に欲しい愛に触れることは出来ないと思う。
それは本当に欲しい愛が近くにきても、自分でそれを拒否するから。
怖いから「これは避けるべきもの!」と、無意識のうちに拒否する。
代わりにこれまで身近に感じてきた愛に似たものを手繰り寄せる。
それは自分にとって毒でしかないのに。
人は悲しいけれど、毒であったとしても自分にとって慣れ親しんだものを選んでしまいがち。
変化はやっぱり恐怖や不安が伴うからね。
どんなに怖くても不安でも今のままでいるのだけは嫌だし、愛を感じたいと強く考えるのであれば、
まず自分が自分を許す(しかも無条件で)トレーニングが必要になってくると思う。
そのような感じ方をするようになってしまったのは自分のせいではないけれど、でもそれをどうにか出来るのは結局自分しかいないから。
それと同時に愛に似たようなものをくれるズルイ人に逃げないこと。
これはすごく難しいことだけどね>_<
当の本人は逃げているつもりは微塵もないし、本気で「この人は自分のことを愛してくれる」と信じて、ズルい人の所に行ってしまうものだから。
本当の愛とは何なのか。についても、しっかり考えるために立ち止まる必要があるよね。
でも愛されるのが怖いが克服出来たら、恋愛ってこんなに幸せなものなんだ。人を愛する喜び、愛される幸せを感じられるようになると思う。
愛されるのが怖いは、深刻な悩みだよ。
それがあることで、人と心からの触れ合いは出来ないから。
生きる上で最も悲しいのは、他人と心が通じ合えないことだと思う。
そんな現実を生きていくのは耐え難い。
いつの日か絶望する。
だからこそ、今自分の問題に向き合うことがとても大切だと思うよ。
自分の問題は他人は解決してくれない。
自分で責任を持って取り組めた時に、初めて光が見えてくるもの。
一緒に幸せを掴みに行こうね。
もし自分の存在を自分が許すことをもっと詳しく知りたいと思ったら、お問い合わせフォームからご連絡くださいね。
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